骨足りないし心臓多い

考えてること書く

吸血鬼の話によく出会う

後輩にチケットをとってもらって宝塚歌劇団の「ポーの一族」を観てきた。ネタバレかもしれないので一応これから見る方は注意。

 

 

吸血鬼と何か縁深いのか、好きな作品の吸血鬼率がすっごい高い。私が生まれて初めて心酔したドラマである、児童小説「ダレン・シャン」もヴァンパイアの話。あと、ストーリー展開には「なんなんだ?」って思っちゃうけどどうしても好きで好きでたまらない映画も「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」。どうしようもないレスタト様が大好き。今日も"ポー"観ながら何度もレスタトのことを思い出してしまった。彼はこの世に存在する創作キャラクターのなかで多分一番どうしようもない奴だと思う。それから、小学校時代から私のバイブルである少年漫画「パンドラハーツ」、を、書いていた望月淳先生の最近始まった新連載「ヴァニタスの手記」もなんとヴァンパイアもの(めちゃくちゃ面白い、オススメ、まだ単行本4巻までしか出てないので買うなら今)だった。

 

こっからやっとポーの一族の話。まず、クリフォード医師が強烈だったな。なんというかこう生殖とヘテロセクシュアルの権化みたいな…笑

彼みたいな女癖が悪い以外は欠点なしのエリートとして描かれている人間、しかも医師が、バンパネラたちに「お前たちは実在しない」って言い放つの、パワーがありすぎてニコニコしてしまった。いまわに「お前たちはどうして存在しているんだ?」って、医師〜〜!すごい、そこが気になっちゃうんだね、すごい。医師……。吸血鬼っていうモティーフ自体、そういうリアルな生物的なところからあんまり離れずにファンタジーが出来るところがすごいと思う。クリフォードだけがシーラが鏡に映ってないことや脈がないことにいち早く気がつくのも面白かった。生物っていうものに人一倍の関心がある彼に、理解不能の生物バンパネラが対峙する、アツい、アツすぎる。

 

ド頭から気になったのは、「愛」と「永遠」の二点セット。自分たちが何者なのか(これはクリフォードにのちにえぐられる「存在」っていう点か)不安を訴えるメリーベルに対して、ハンナは「みんなお前を愛している」という言葉で納得させる。シーラは「愛がなければ生きてはいけない」ということと「永遠に男爵と添い遂げる覚悟がある」ことを繰り返し歌う。「愛」とか「永遠」とか、宝塚の人たちが言ってると「そうだね」ぐらい当然に納得してしまいそうになるんだけど、ちゃんと違和感があったのが面白かった。

愛があればそれでいいのか?長く生きることは本当に幸せか?みたいな、素通りしそうな綺麗事に、ちゃんと疑問を持ってくれるのって、私みたいな捻くれた日陰者にはかなり嬉しい。

マジで「愛が全て」に逃げちゃうことって結構破滅的だよなと思うし、その言葉の呪縛によってメリーベルってどんどん不幸になっていったよな……でも彼女はアランが一族に入ることを止めてあげたり、永遠の恐ろしさを誰よりも深く理解していたし、兄が自分のために吸血鬼になったことにも負い目を感じていたんだろうな、それも愛されてる子だから出来ることなんだけど、彼女は生きれば生きるほどずっと寂しさに苛まれ続けるんだろう。なにもかも一言では語りつくせない悲劇だ……。

「吸血鬼」のモティーフ、突飛な設定と思いきや多分人間存在を問いただしてくれるものすごい力があると思う。

 

あと、「愛」と切っても切れない概念として登場するのが、タイトルにもなっている「一族」という言葉。「一族だからなんだよ!?は!?」と思いたくなる暴力的な使い方がされていて良かった……実際世界では「家族なんだから」が平気で振りかざされているよね。あー分かるなーと思いながら見ていた。でも、結局吸血鬼の集団がしがらみの重さに負けて「仕方ねえ、協力してやるか」ってチームとして完成したり、結局やっぱダメで分裂したりするのすっげえ好き("インタビュー"がその点についてマジで死ぬほどグダグダだったので"ポー"落ち着いててすごいなとすら思った)。

「愛」として語られているほとんどが「寂しさ」な気がした。寂しいから仲間を増やす、長い寿命を慰めるために同じ呪いを共に過ごしたい人にかけ続ける。寂しいとか愛とかそういう気持ちそのものが呪いなんだろうな。

 

なんでやたらと吸血鬼の作品に惹かれるのかなってことについて深めに考えてみる。さっきクリフォードについて「生殖とヘテロセクシュアルの権化」って言ったけど、その彼(生物学的に非合理なように思われるものを否定したい人)に「お前たちは実在しない」って目の前で言い放たれるって、多分吸血鬼は「生殖しない人たち」のことなのかなーって感じがする。ゲイとかその他諸々。ライフスタイルも世間一般と合わない、正体を隠さないと怖がられるから、土地を転々としないといけない。最後にエドガーとアランが二人で生きていくことを選ぶけど、二人は別に恋愛関係ではないし、そういう、大多数や凝り固まったステレオタイプからしたら理解不能、恐怖、の、対象。私は吸血鬼に超共感する。「お前たちはどうして存在しているんだ?」って、聞かれてもこっちが聞きてえし、「昔からいた」そう、ずっといた、昔からいるよ〜、今急に発生してね〜よ、みたいなね。理解不能とどう折り合いをつけていくのか、そういう普遍的なものを、吸血鬼モティーフには感じる。

 

愛と永遠の若さ、家族、の醜さ。あんなに醜いものをあんなに美しい人たちがやってくれる皮肉が最高だった。宝塚も最も美しい"あのとき"を閉じ込めた舞台上の姿をスターが代替わりしていくところだし、生殖や男女を除外した世界だから、彼女たちがこの作品を演じることってとても意味があると思った。

見てよかったなあ、これからも吸血鬼たちを愛していきたいと思った。